プロ野球の世界で二刀流に挑戦する大谷翔平選手は高校時代、名門花巻東高校に所属し甲子園にも出場を果たしました。
高校時代の活躍は藤浪投手からのホームランや160km/hを計測するなどたくさんのエピソードに溢れています。
高校時代から非常に有名な選手でしたが、高校入学前の活躍はどうだったのでしょうか?出身中学はどこなのでしょうか?
野球部で活躍をして花巻東高校に入学したのか、それともリトルリーグで活躍をしていたのでしょうか?大谷翔平選手の出身中学や高校入学前の活躍について、少し調べてみたいと思います。
まず、小学生の頃から大谷翔平選手は球速が速かったそうで、リトルリーグ時代にすでに120km/hを計測していたそうです。
リトルリーグの平均球速が90km/h前後と言われていますので、小学生の頃から規格外の剛速球を投げていました。
バッティングでも小学生ながらに70mのフェンスを越える打球を連発し、小学生のころから将来挑戦する二刀流の片鱗を見せていました。
目次
出身中学ではすでにシニアリーグに専念
中学校の軟式野球部でも大谷翔平が出場したほうが勝率も上がるので試合に出場することはあったそうです。
しかし、シニアリーグで硬式球で練習をしていたので、中学校の野球部の顧問の先生の配慮により、シニアリーグに専念していたそうです。
そんな大谷翔平選手は岩手県の奥州市出身で、奥州市立水沢南中学校に通っていたそうです。なんと1学年のクラスが20もあるかなり生徒が集まるマンモス学校です。
大谷翔平は野球部にこそ所属はしていましたが、一関リトルシニアに所属していたので土日の部活には参加せずにリトルリーグの試合や練習に参加していたそうです。
生徒が多く集まる学校ではありますが、高校野球のように県外から選手を集めたりと言ったことはありませんし、普通の中学校の野球部でした。
どちかと言えば中学校の野球部での活動よりもシニアリーグで活躍をしていました。
引張るのを禁止される打撃
今現在も豪快な打撃が魅力の大谷翔平ですが、シニアリーグやリトルリーグ時代から大器の片鱗をみせていたそうです。
リトルリーグの練習は河川敷で行われていたのですが、大谷翔平が打撃練習でボールを引っ張って打つと、ホームランを連発。
そのボールがすぐになくなってしまうのでチームの監督が引っ張り打ちを禁止したという逸話があったそうです。
しかし、しばらくすると今度は逆方向にホームランを連発するまでにすぐに成長をして見せたそうです。
そして、小学校時代、中学校時代と全国大会に出場するほどの活躍を見せ、中学三年生の頃には身長が180cmを超えていたため大型選手とかなり有名だったそうです。
進路はどうなるのかが注目されていたそうですが、大谷翔平は地元の花巻東高校を選びました。
花巻東高校は甲子園でもお馴染みの強豪校ですが、県内出身の選手しか基本的に野球部に所属していないそうです。
花巻東を選んだ理由とは?
では、大谷翔平が花巻東高校を選んだ理由とはなんなのでしょうか?恐らく全国からスカウトが来ていたのではないかと思います。
しかし、花巻東を選んだ理由は大谷翔平が中学校三年生の時に現在西武の菊池雄星投手の甲子園での大活躍を見たからです。
憧れから花巻東高校を選んだのではなく、菊池雄星投手と同じ環境、同じ舞台で超えるために花巻東高校を選んだそうです。
甲子園で菊池雄星が活躍する姿を見て、大谷翔平はクラスメイトに「高1で超えて見せる」と目の色を変えて呟いたそうです。
こうして、大谷翔平は花巻東高校への進学を決意し、全国の注目を一身に受ける活躍を見せたのです。
決して中学校の軟式野球部は名門だった訳ではないようですが、リトルリーグとシニアリーグで全国大会を経験したのです。
もちろん中学校時代の野球部の監督の配慮もあり、シニアリーグに専念することができたので、大谷翔平の将来の成長に影響を与えたのは間違いないと思います。
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