大谷翔平は学生時代から身長も高く周囲と比較しても群を抜いて速いボールを投げていました。野球の実力も立派ですが、インタビューでも優等生な発言が多く上品な雰囲気を持っています。
野球の実力が高く、中学高校時代から有名な選手であり、常に注目を浴びてきた存在なので所謂「天狗」になってしまう選手も多くいますが、大谷翔平にはそういった雰囲気がありません。
しかし、幼少期から非常に負けず嫌いだったそうで周囲が「できるはずがない」と言うと、逆に燃える性格だったそうですが、感情的になる場面もありません。
一方で、お気に入りの本のハリーポッターの表紙にシワが入ってしまうと泣きじゃくってしまう程、泣き虫な少年でもあったそうですが、弱気になってしまうタイプでもありません。
目次
バトミントン国体選手の母と社会人野球の父
どんな時も冷静で真摯に、闘志を燃やす必要がある場面では情熱的に戦って見せる大谷翔平はどのように育ったのでしょうか?
大谷翔平はバトミントンの国体選手である母親と、社会人野球で活躍をした父親との間に産まれました。
両親ともアスリートであり、スポーツに親しみがある環境に産まれました。ご両親に大谷翔平はどのように育てられたのでしょうか?
大谷翔平の父である徹さんは、某メーカーの技術者として働いていたそうですが、夜勤や残業もあり、大変な環境で大谷翔平を育て上げました。
それだけでなく大谷翔平が所属するリトルリーグのコーチや監督を引き受けていたのだそうです。
当時から仕事が忙しく、大谷翔平のお兄さんにあまり接してあげることができなかったので、大谷翔平には時間を一緒に過ごしてあげたいという思いが強かったといいます。
そのため大谷翔平のために、夜勤明けで寝ずに大谷翔平の指導にあたったり、リトルリーグで他の選手達の指導にもあたっていたそうです。
しかし、決して大谷翔平を可愛がるだけで甘やかしていた訳ではなかったそうです。
幼少期からストレートは速かった
大谷翔平は幼少時代から球速が速かったのですが、その反面コントロールが悪く、四球や暴投を連発していました。
ランナーを出してしまった後に真ん中にボールを投げて打たれる場面が多くあったのだそうです。
そんな時に大谷翔平が後ろ向きになってしまったり、泣いてしまうこともあったそうですが、大谷翔平に対して「次の目標や今後どうするべきかを考えるように」とアドバイスをしていたそうです。
どうしたら打たれないのか、四球を減らし打者を抑えることができるのか?ということを幼少期から考えるように習慣付けしたようです。
こういった教育方針もあり、泣き虫だった少年は課題を克服し進化を遂げる習慣を身に着けて成長していったのです。
そして、母親は大谷翔平が学生だった頃から週4~6日はパートに出ていたそうです。
パートもしながら家事もこなし、平日だけでなく週末もリトルリーグのグラウンドに足を運び、陰ながら大谷翔平を支えていたそうです。
大谷翔平の母親も甘やかすだけでなく、周囲にも配慮ができる母親だったのです。
大谷翔平は中学時代にシニアリーグで活躍をしていましたが、実力の高さから中学の野球部で試合に参加する場面もあったそうです。
シニアリーグで活躍をしていたこともあり、当時の野球部監督から大谷翔平と母親に対して「中学の試合には出なくてもいいか?」と質問があったそうです。
中学校の部活なので頑張った生徒に試合に出場する機会を与えたいという想いもあったそうです。
周囲に配慮ができる母
近年モンスターペアレントという言葉がありますが、大谷の母親は「その方がいいです。普段一緒に練習していないのに試合にだけ出るのが非常に申し訳ないと思いっていました。」と答えています。
少しでも息子が活躍する姿を見たいと思う親が多いとは思いますが、自分の息子のことだけでなく、周囲にも配慮ができる立派な方のようです。
両親ともに、しっかりと大谷翔平のことを考えて本人と接してきたようです。
メジャーリーグとの交渉や日本ハムファイターズとの交渉の席でも、ご両親共に大谷翔平の意志を尊重しながらも、真剣に話し合っていた姿が非常に印象的でした。
そんなご両親は大谷翔平の年俸が2億円に到達した今でも仕事を続けているそうです。どんなに息子の年俸が上がっても自分たちで生計を立てて暮らしているそうです。
こういったしっかりと自分自身を持った両親の性格と、大谷翔平と常に向き合ったご両親の教育が大谷翔平を育てたのです。
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