大谷翔平は2012年のドラフト前にメジャーリーグへの挑戦を表明していました。高校卒業後即メジャーへ挑戦するルートのパイオニアになろうとしていたのです。
大谷翔平の指名を検討する球団が多数ある中、大谷翔平のこの発言を受けてほぼ全ての球団は指名を見送り、別のドラフト一位候補を検討していました。
しかし、2012年秋のドラフト会議で会場は騒然とすることになりました。
甲子園春夏連覇を達成した藤浪晋太郎や、亜細亜大学の東浜巨に指名が集中する中、2012年のパ・リーグを制覇した北海島日本ハムファイターズのドラフト一位指名の選手が発表されました。
会場でアナウンスされたのは早くからメジャー挑戦を表明していた「大谷翔平」の名前でした。
この指名を受けた大谷翔平は「評価をいただいたことはうれしい」と発言をしながら「気持ちは変わらない。入団の可能性はゼロです。」と発言しました。
目次
日本ハム入団の可能性はゼロ
しかし、このドラフトから約一か月半後の12月に大谷翔平は日本ハムへの入団を表明しました。この期間に大谷翔平の気持ちはどのように動いたのでしょうか?
この交渉で話題になったのは、日本ハムが用意した選手の育成実績や、海外へ挑戦することのフォロー体制などを詳細に説明した資料でした。
大谷翔平が入団を表明するに至ったその裏側でどんな交渉が展開されていたのでしょうか?入団を表明するまでの間に大谷翔平サイドと日本ハムの間で合計三回の交渉が行われました。
まず、日本ハムはドラフトの翌日に花巻東高校を訪問しますが、大谷翔平と対面することはできませんでした。
花巻東高校の佐々木監督の意向もあり、球団と大谷翔平で直接話し合って欲しいという要望がありました。
そして、11月からは大谷翔平の自宅へ直接訪問し、球団GMと栗山監督、大谷翔平の両親と大谷翔平本人と直接の交渉を開始しました。
高校からメジャーへのパイオニア
初回の訪問の際に大谷翔平の本音が少し見えたそうです。メジャーで長くやりたいという気持ちが非常に強。
高校生からのメジャー挑戦は初めてなのでパイオニアとしてやっていきたい考えていたそうです。
しかし、両親はまずは国内でやって欲しいという気持ちもあり、大谷翔平のメジャー挑戦表明に対して少し迷いがあったそうです。
そんな両親の気持ちを動かしたのは日本ハムが用意した資料は、日本ハムでずっとプレーしてほしいという内容のものではありませんでした。
高校生からメジャーへ挑戦することの成功例が少ないということやリスクの高さを書いていました。
しかし、あくまでメジャーへ挑戦したいという大谷翔平の意志を尊重しながら、メジャー挑戦するまでの最善のルートが国内で経験を積むことでした。
最善で最短で成功しやすいルートが日本プロ野球界を経由してからの挑戦であるという切り口で説明をしたのです。
二刀流で大谷翔平の気持ちがかわった
そして、二回目の交渉では岩手県奥州市内のホテルで行われました。プロジェクターを使用して球団の育成方針や、後に球界を騒がせる「二刀流」での育成プランを提示しました。
国内で、その道でパイオニアになれるという点を強調しました。この交渉で大谷翔平という存在を非常に大切に思いながらも、本人の夢を尊重する姿勢で両親の気持ちを動かしました。
両親としては、まずは国内でという気持ちもあったので、球団側の綿密な育成プランは非常に魅力的だったと思います。
三度目の交渉からは、栗山監督が同席をしました。栗山監督の存在も大谷翔平の心を動かす大きな要因だったと思います。
栗山監督の情熱的な姿勢と大谷翔平を思う強い気持ちとあくまで大谷翔平の意志を尊重する姿勢が大谷翔平の心を動かしました。
大谷翔平も栗山監督の登場以降、徐々に態度が軟化し、日本ハム入団という選択肢も浮かんでいたようですが不安に感じる点がいくつか残っていました。
二刀流での起用プランを提示されましたが、打者として起用され投手としての起用が立ち消えてしまうのではないか?
また、メジャー挑戦を表明した後に国内球団へ入団するとバッシングを浴びてしまうのではないか?という二点でした。
二刀流の件については、ダルビッシュ有が背負っていた背番号11を用意していることを伝え、あくまで投手として評価していることを伝えました。
入団の責任は日本ハムがおう
そして、国内への入団の件は指名を強行した球団側が全て責任を取るということと、大事なのは大谷翔平の将来であり、その道を作るのは大人の責任だと言うことを伝えました。
この交渉が決め手となり、大谷翔平は2012年12月9日に日本ハムへの入団を表明しました。
高校生でのメジャー挑戦を表明した大谷翔平、その大谷翔平をドラフトで強行指名した日本ハムと、双方にかかったプレッシャーは相当なものだったと思います。
しかし、日本ハムの常に大谷翔平の立場に立った交渉が実を結んだ形となりました。栗山監督の「道を作るのは大人の責任」という発言も非常に印象に残りました。
球団側の一貫した誠実な姿勢がドラフトから入団までの間に裏側で展開されていたのです。自分本位ではなく相手の立場に立つというのは非常に大切だとわかるドラフトの裏舞台でした。
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