林修が大谷翔平のインタービューで驚いた劇的スイッチとは?

「今でしょ!」というフレーズで林修さんは有名になりましたが、林修さんはそれだけではありません。

野球がとにかく大好きな方として有名であり、さらにはメジャーリーグがとにかく大好きな人物として日に日に有名になっています。

 

そんな林修さんがテレビ番組で憧れの選手である日本ハムファイターズの大谷翔平と共演を果たしたのです。その番組とはアスリートの原点を紐解く番組と言える「劇的スイッチ」という番組です。

冒頭から野球が大好きな林修さんは大谷翔平の2016年の活躍に対してデータを用意して話しており、大谷翔平本人が記憶していないほどのデータで大谷翔平を驚かせていました。

 

林修先生の話が止まりませんでしたが、大谷翔平の様々な部分に多種多様な切り口で迫るインタビューを見せていました。インタビューの途中で大谷翔平にとって転機となった部分はいつか?

という所に話題が及びましたが、花巻東高校時代が大谷翔平にとって非常に大きかったのです。高校入学時点で身長はすでに180cmを超えていましたが、体重は僅かに66kgほどしかなかった大谷翔平。

転機は花巻東高校時代

それを変えたのが花巻東高校時代の教えがあってのものだったのです。

恩師である花巻東高校の佐々木洋監督の教えである「自分で考えて練習をする」という教えも現在の大谷翔平を構築するのにかなり大きなウェイトを占めていたようです。

 

そんな過去もあり、大谷翔平は自分自身を変えた劇的スイッチを「佐々木先生+ファイターズドラフト+二刀流」という三つを挙げました。

それだけ花巻東高校で過ごした三年間は大谷翔平の野球人生に多大な影響を与えていたということがわかります。

 

「自分で考えてやる」という佐々木洋監督の教えは「常にどんな効果があるかを考えて練習する」という大谷翔平選手と非常にマッチしていたのだと思います。

他にも挙げていた劇的スイッチは、ファイターズドラフトと二刀流についてですが、世間を騒がせたこの当時、大谷翔平は投手としてプロで戦いたいという想いを持つ一方で打撃にも自信があるというジレンマを抱えていたのです。

 

そんな中、その大谷翔平のジレンマを受け入れてどちらにも挑戦するということと、「二刀流」というルートを見せてくれたことが現在の大谷翔平を形作ったとも言えるでしょう。

今現在どのように感じているのかも非常に気になるところですが、やはり今の段階でどちらかに絞るということは考えていないのです。

 

徐々に「やりたいこと」と「自信があること」に折り合いを付けていく必要があると考えてはいます。

しかし、個人的には今後も二刀流を継続して打っても投げても頂点になる選手を目指してほしいと考えてはしまいます。やはり大谷翔平にとっての大きな転機は「二刀流」だと感じました。

林修の二刀流

実はこのインタビューを行っていた林修さんも「二刀流」を経験したことがあるのだそうです。実は予備校の講師として働きだした頃に、現代文と数学の二刀流を行っていたそうです。

しかし、周囲からは「そんなことをする人はいない」とかなり反対を受けていたようです。

 

林修さんは実際にその二刀流を問題なくこなしていたのだそうですが反対する声と言うのは非常に大きかったようです。

そんな中、林修さんは「どちらもできるのだから何がいけないの?」という態度で臨んでいたのです。

 

そんな経験も踏まえて、やはり二刀流に対して批判的な意見を言う人は今までの自分自身の定規で物事を計っているだけだと語っていました。

日々誰も想像が出来ないようなプレーを実現してしまうのが大谷翔平です。彼のプレーから何度「史上初」という言葉が飛び出したでしょうか?今までの常識を超えているのです。

 

大谷翔平は周囲の批判的な声もエネルギーに変えて今まで誰もがあっと驚く活躍をしてきたのです。

代名詞とも言える「二刀流」や世間を騒がせた花巻東高校時代が大谷翔平を変えた劇的スイッチになっているのです。

 

様々なものと運命的な出会いを大谷翔平はしているのです。もしドラフト指名をしたのが日本ハムでなければ運命が変わっていたかもしれません。

劇的スイッチは大谷翔平自身だけでなく運命をも変えていたのかも知れません。