2012年、夏の甲子園出場を賭けた戦いが全国各地で開催されていました。その中で最も注目が集まった球児は岩手県大会で高校野球史上初の160km/hを計測した大谷翔平でした。
160km/hを計測した高校生は他の高校球児とは異なり「メジャーに挑戦したい」という願望を口にしました。
多くの高校球児が甲子園優勝やプロ野球からドラフト指名を受けることを望む中で、大谷翔平はメジャーリーグへの挑戦願望を発信しました。
そんな異例の願望を口にした大谷翔平はメジャーリーグへの想いを抱いたのはいつごろだったのでしょうか?
プロ野球選手を夢見る中学生や小学生は多いですが、いつ頃からその想いは具体的なものになったのでしょうか?
まず、大谷翔平は花巻東高校に入学した頃に掲げた目標は「ドラフト一位八球団」や「160km/h」でした。
この部分だけ切り取って考えるのであれば高校入学時点ではNPBを志していたようにも思えます。
しかし、大谷翔平の高校時代の発言を見るとその想いは高校野球の舞台に飛び込む以前から抱いていた想いだということがわかります。
こんな発言がありました。
「メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。日本のプロ野球にも憧れていたがメジャーへの憧れの方が強かった。」
目次
小学生からメジャーにあこがれ
日本のプロ野球界を目指す気持ちもあったようですが、少なくとも高校に入学する時点ではすでに大谷翔平が描く最高の将来はメジャーリーグへすでに向かっていたようです。
では大谷翔平がメジャーリーグを志したのは中学生のころでしょうか?恐らくその想いの原点はさらに遡り小学生の頃にまで至ると思います。
大谷翔平は小学生の頃からリトルリーグで鍛錬を積んでいました。この時点ですでに120km/hのストレートを投じる剛腕でした。
リトルリーグの平均球速はおよそ100km/h前後と言われていますが、その水準を遥かに凌駕しています。小学生の段階ですでに周囲と一線を画すパフォーマンスを発揮していました。
他の小学生と同じよう日本のプロ野球を志していたでしょうか?大谷翔平の普段の言動を見ると、誰よりも常に上を目指していることが伝わってきます。
この上昇志向は一朝一夕で身に付くものではありません。幼少期から誰にも到達できないような高みを目指していた可能性が非常に高いです。
そうなると、小学生の頃から周囲と比較して圧倒的に高いパフォーマンスを発揮していた少年は世界の舞台を志すことだと思います。
大谷翔平が小学生の頃にはすでにイチローや松井秀喜、野茂英雄や松坂大輔等がメジャーで活躍していました。
誰もやったことのないこと
すでに少年の憧れは日本プロ野球界だけでなくメジャーリーグの舞台も視野に入るところまで来ていたのです。「誰もやったことのないことをやりたい」こう発言した大谷翔平はまだ若干18歳でした。
160km/hを計測したからこのような発言ができたのでしょうか?そうではありません。
小学生の頃から誰よりも高い舞台であるメジャーへの想いを秘めており、それだけではなく誰よりも高いパフォーマンスを出すために鍛錬を続けていたのです。
大谷翔平は小学生の頃からメジャーリーグへの想いは持っていたのだと思います。ただ、その夢が現実的なものになってきたのが高校生の頃だったということだと思います。
誰よりも高い目標を掲げてそれを超えてしまう大谷翔平。その想いの強さが大谷翔平の現在を支えているのだと思います。
もしかするとファンが考えている以上に高い目標を今でも持ち続けているかもしれません。日本人初のサイヤング賞でしょうか?
メジャーで二刀流で投手と野手共にタイトル獲得でしょうか?想像もできないような高い目標を大谷翔平は持ち続けていることでしょう。
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