北海道日本ハムファイターズで現在活躍をしている大谷翔平は2012年秋のドラフト会議でドラフト一位で指名を受けて入団を果たしました。
そして、入団会見の際に大谷翔平に用意されていたのは、ファイターズを支えてチームを三度のリーグ優勝に導いた大エースのダルビッシュ有が背負っていた番号の「11」でした。
2012年シーズンから戦いの舞台をメジャーリーグへ移したため、背番号11は空き番号となっていたのですが、偉大な投手が背負っていた番号をすぐに新人に与えたのです。
球団側が大谷翔平に対して高い期待をしていたことがわかりますが、大谷翔平の背番号に「11」が選ばれた理由はなんだったのでしょうか?
まず、ドラフト当時は大谷翔平はメジャーリーグへの挑戦を表明しており、日本ハムファイターズへ入団する可能性はないと本人が口にしていました。
実は大谷翔平が日本ハムへの入団を承諾するまでに行われた交渉の中に背番号11が大谷翔平に託された理由が一つ隠れています。
目次
背番号11の存在感
2012年にエースが抜けた穴を感じさせない戦いを見せて日本ハムファイターズはリーグ優勝を果たしましたが、ダルビッシュ有という圧倒的な存在感を持つ投手はいなくなってしまいました。
日本ハムファイターズにとって、背番号11はエースが背負う番号と扱われていましたので、そのエースの座を託すという意味で背番号11を大谷翔平に託したようです。
それと同時にダルビッシュ有のような圧倒的な存在感とチームの雰囲気を一瞬にして変えてしまう大エースのようになってほしいというメッセージを込めて背番号11を託したのです。
大谷翔平はダルビッシュ有に憧れてた
自身の投球フォームはダルビッシュ有を参考にしていると発言したことがあるように、大谷翔平はダルビッシュ有に対して強い憧れをもっていたのです。
自分自身と同じように190cmを超える長身の投手であり、全国の野球ファンを魅了するほどの華のあるスターでした。
その憧れの投手が背負っていた番号を球団から託されるというのは大谷翔平にとっても、非常に名誉なことだったと思います。
高校時代は先輩の菊池雄星を超えることを目標に花巻東高校の門を叩いた大谷翔平ですが、現在はダルビッシュ有を超えることを目標にしているのでしょうか?
ダルビッシュ有という壁は非常に高いですが、ダルビッシュ有を身近に意識することができる背番号11を背負うことができたのは大谷翔平のプロ野球人生に大きな影響を与えたと思います。
自分自身が背負っていた番号を背負っていることだけが理由ではありませんが、ダルビッシュ有は大谷翔平を非常によくかわいがっています。
大谷翔平と一緒にトレーニングを敢行したり、投球のドバイスをするなどかなり良好な関係を築いています。
トレーニングを一緒にする仲
そんな憧れのダルビッシュ有の存在もあり、大谷翔平は肉体改造を実施した背景もありました。ダルビッシュ有はトミー・ション手術後のリハビリの中で肉体の強化を図りました。
その時にダルビッシュ有が口にしていたのは「今まで100の力でしたできなかったことを80の力で安定して発揮できるようにするのが狙い」と口にしていました。
そのダルビッシュ有の考え方を参考にして、同じ考えを持って大谷翔平は肉体改造を行い、大きくパフォーマンスを高めることに成功しています。
大谷翔平が背番号11を背負っている理由は先輩のダルビッシュ有との共通点も多く、球団側からダルビッシュ有のようなエースになって欲しいという意味が込められているのが理由です。
背番号11を背負うことになった運命が大谷翔平の現在を作っていると言えるかもしれません。それぐらいダルビッシュ有の後の背番号というのの大きさを感じました。
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